春休み (vol.2)



 空腹なことに急に気付いて、台所に行って冷蔵庫を開けて中身を物色した。残念ながら、碌なものはない。とりあえず牛乳を取り出して、飲みきるつもりで口をつけた。
 春休み、平日の昼間。たった今兄貴が出て行って、家には他に誰もいなかった。

 兄貴はどこにいったんだろう。
 別に、どこでもいいけれど。

 そう思いながらもう一度階段をあがると、隣の兄貴の部屋の扉が無造作に半分開いていた。だいぶ慌てて出掛けたらしい。
 ふらふらと、よく考えずに扉に近寄る。いつもは用もないのに入ったりはしないけれど。
 行き先を告げないまま慌しく出て行ったのが、やっぱり何となく気にかかって扉を開けた。部屋主不在の間にずかずか踏み込むのもどうかと思って戸口に立ち止まる。いつも通りに、適当に片付いた部屋。特に変わった様子はないけれど。

    まさか、この年になっていきなり家出はないよな…

 くだらない事を考えながらぐるりと見渡すと、多少、いつもよりは余計にきっちりと片付いているような気もした。
 例えばベットとか。クローゼットの周りとか。布団がめくれていたり服が積まれていたり。そういうどうってことない行動の後は消えている。わざわざ部屋を整えて行ったところを見ると、やっぱり、兄貴はどこか、友達の家とかじゃなくってどこか遠くへ、出かけて行ったような気がした。

 主のいない、抜け殻のようながらんとした部屋。そういえば四月になれば兄貴はこの家を出て行くということを、今更ようやく強く意識した。もうひと月しかない。
 四月になれば兄貴はとうとう学生ではなくなって、フレッシュマンとやらになるらしい。それは僕にはまだ、ひどく遠い存在のような気がするけれど、そこに到達するまではたったの4年。その4年間が、長いんだか短いんだかもよく分からない。まだ入ってもいない大学の様子なんて分かるはずもないから、想像しろというほうが無理だけど。

 でもきっと、振り返ったときには一瞬なのだろう。

 フレッシュマンになる予定の兄貴はこの家を出て、どこかで部屋を借りて一人暮らしを始める。それもまた、僕には実感の沸かない事だった。

 去年の夏に出会った人に影響されて、僕も一瞬、この街を出てどこか遠くの大きな街の大学に行こうかなんて考えた。けれども結局そうはしなかった。というか、そこまで行き着けはしなかったのだ。
 彼女はたださらりと笑っていたけれど、とりあえず目指してみて初めて、それが、相当厳しい選択肢なのだと分かった。

 結局のところ、彼女が僕と同じ立場にいた頃に願ったほどには、僕は強く願えなかったのだと思う。僕はこの街が好きだったし、家族も家もそれなりに快適だったし、振り切って駆け抜けてしまわなくてはと強く思いつめるほどの何かを、背負ってはいなかった。

 兄貴はどうなのだろう…就職して独立していくのは勿論当然の事だけれども。それは歓迎すべき選択だと思うけれども。

 兄貴も決めていたんじゃないかと、思うときがある。
 僕は、僕が中学生の頃、高校生だった頃の兄貴のことを実はあんまりよく覚えていない。どんな風だったのか、やっぱり今みたいに、醒めた目をして淡々と物事をこなすタイプだっただろうか。でも確か、もうちょっと違ったんじゃないかという気がする。
 何か、理由ときっかけが、あったんじゃないのだろうか。
 高3の彼女が真っ直ぐな眼をして未来を決めたように、大学生になった兄貴は、就職とか、卒業とかもまだ遠かった頃にすでに、僕の知らないところでひとり決めたんじゃないだろうか。

 追い立てる何かは別になかったかもしれないけれど。もしかしたら。
 ひとり遠くに行ってしまった片山さんに、追いついていつか向かい合えるようにと。





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