春休み (vol.3)



 取り留めない思考に捕らわれながら、片付いた部屋の表面をゆるゆるとなぞっていた目の端に、何かが引っかかった気がした。なんだろう、何か、見覚えある何か。
 もう一度攫うように目を走らせて、机の上で留まる。
 何気なく、置き去られている青い表紙の大判の平たい本。銀色の文字で、「県立御園高等学校」。
 僕は先ほどの遠慮はすっかり忘れて、ずかずかと部屋に踏み込んだ。

    失くしたなんて、やっぱ嘘じゃん…
 どうせ、信じてなんかいなかったけど。

 夏の終わり、兄貴が頑なに見せてくれなかった卒業アルバムを、僕がようやく目にした頃には、もう随分と寒くなっていた。
 高校の資料室の埃っぽい片隅、隠れるように密やかに並んでいた青い背表紙。僕はそれを偶然見つけて、なんだか衝動に抗えないままに、引っ張り出してそっと開いた。
 とりどりの写真、整然と並ぶポートレートの中に、先輩も兄貴も片山さんも、今よりだいぶ幼かったけど、そこにはちゃんと、みんないた。


 机の上に置いたまま、布張りの、青い表紙に手をかける。粗い手触りが、ひやりと指先に残った。適当にあたりをつけてページを開く。ずっと前、確かに同じ校舎にいたはずのまるで見知らぬ高校生が、ずらりとこっちを見返していた。
 ページを捲る。先輩と片山さんのクラス。それから兄貴のクラス。いつか見た不安定な視線は変わらないままで、それでも僕は、また不必要にたじろいでしまう。

 写真に閉じ込められた時間はそれ以上進むことなく、現実の彼らだけはどんどん先に行ってしまう。離れ続けていくギャップは深くなるばかりでいつか、面影すら消えてしまうのだろうか。そうだとしても。
 それでも。
 消えない何かがあればいいと思う。変わらない何か。薄れない何かが。
 今も、片山さんが先輩を忘れないように、兄貴が片山さんを眩しく思うように。
 優しく懐かしい想い出が、強く人を導くといい。
 いつか忘れてしまっても、それでも。
 こころの奥底のどこかにひっそりと沈んだ宝石のように、人知れず煌き続けたらいい。


 僕はふと、これが兄貴のアルバムだということを改めて思い出して、一旦アルバムを閉じた。それから、表紙だけをそっと捲った。資料室で見たアルバムでは一面薄青い無地だった見返し部分には、色とりどりの書き込みが広がっていた。

    やっぱりな

 些細なものでも、慣習というのは脈々と受け継がれるらしい。アルバムの最後には寄せ書き用の白紙が挟まっているけれども何故かそんなのは誰も使わなくて、代わりに見返しが文字に埋まる。僕もそうだった。きっと代々そうなのだ。

 だったらあるはずだ。きっとあるはず。
 僕はその書き込みのひとつひとつを目で追っていく。色も大きさもばらばらな書き込みをひとつひとつ探すのは面倒に思ったけれど、探すひとつは割合簡単に見つかった。
 左上のほうに陣取られた面白みのない黒いボールペンの文字、「滝」と、でかでかと書かれた名前は嫌でも目立って、目に飛び込んできた。

 その無邪気な無遠慮さが先輩らしい、と思う。
 意外にも丸っこく崩れた文字は、予想外だったけれど。





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