ざわめき



「ごめん。時田君」

 それは何に対してだろう、と、思いながら謝った。
 嘘ではなかった。ごまかしでもない。それでもきっと時田君には謝らなければいけない。
 後悔はしていない。罪悪感もなかった。ただ、どうしようもない。

「ごめんね」


 淋しいと思った。
 久々に。
 こんなに冴え冴えと淋しいと思ったのは、一体いつ振りだろう。
 ほんの少し懐かしい。
 そして、痛々しい。

 独りだな。そう。本当はいつだって独り。
 そんなこと、そんな当たり前のこと。何で忘れていたんだ。
 みんなといても、二人でいても、人はいつだって、自分以外ではありえない。決して紛れない孤独を、抱えもって目を上げる。誰も。誰しも。
 だから近づきたいと思うんじゃないか。少しでも。
 傍によりたいと。手を伸ばしたいと。

 名前を、呼びたいと。


 ざわざわと、騒いでいるのが分かった。
 こころが、頭が、体中が。ざわざわと、止まない微動。
 突然むき出しにされた神経が、突風に煽られてはためくように。
 冷たい。淋しい。怖い。切ない。
 薄い表皮を引っかくように、舞い飛ぶ小さな感情の切れ端。
 ずっと。見えなかったのに。ずっと、見ないですんでいたのに。
 何も見えないで、日々は平穏で、暖かく、柔らかく、ぼんやりと緩やかに眠るように。
 そこは安全な場所で、私は守られていて、傷も付かなくて、痛くなくて。

 不満はなかった。不満はなかったはずだ。むしろ望んだはずだ。そういう日々を。そういう場所を。
 なのにどうして。いま。また。突然。


 真綿のように、分厚く白く私を守っていたはずのものはどこに消えたのだろう。
 いつの間に。跡形もなく。消えたのだろう。いったい、いつの間に。何故。
 絶え間なく重心を変える感情が分かる。分かってしまう。嵐に翻弄される木の葉みたいに、狂ったように不安定。
 そうだ、そう。過剰反応する感受性。むき出しの神経。いつだって痛くて。苦しくて。乾いていて。
 鋭くて、熱くて、眩しくて。

 こんなはずではなかったのに。
 ずっと、閉ざされていてもそれはそれで、構わなかったのに。
 もう、安全じゃない。暖かくない。眠ってはいられない。
 きっと傷ついてぼろぼろになって泣きたくなる。そう、簡単に。
 戸惑って、いらついて、泣き叫びたいような強い衝動。願望。切望。
 願いがないなんて嘘だ。何もないなんて、そんなのはただの錯覚。
 麻痺しているだけなんだと、本当は気付いていた。ただ、眠っているだけだと。
 だから、たがが外れてしまえばきっともう。


 目を上げると、時田君が、怪訝そうな顔で見つめていた。
 驚くほど、よく見えた。戸惑ってイライラして困っていることも、よく分かった。
 そう、分かってしまう。分かりたくなくても。

「八月の終わりには、ちゃんと帰ってくるから。それで、秋休みは、ずっと、こっちにいるから。きっと、沢山遊べる」
 無意識に出た台詞は、安っぽくいい訳じみて聞こえた。
 ああ。なんて。白々しく響くんだろう。私の言葉は。こんなに上滑って。


 視界も、思考も、ひどくクリア。純度の高い氷のように、冷たくて、鋭くて、透明。
 開けた視界に写る世界は、綺麗じゃなかった。穏やかじゃない。整っていない。
 だけど鮮やかだった。主張する色と形。隠したい本音とあらわしたい建前。駆け引き。揺らめく感情。声。気配。

 切り込むように飛び込んでくる輪郭が、眩しくて目を眇めた。
 笑ったように、見えるだろうか。見えるといいけれど。
 もう、自信がなかった。醜く歪んだだけだったかもしれない。



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