残像



 大学最後の春が、麗らかに過ぎていく。
 桜が咲いて、柔らかな風が吹き、桜が散って、季節はいつの間にか巡っている。
 春と言う季節はいつも短い。空気がようやくぬるんだと思えば儚く一瞬花吹雪は街を舞って、気付けばもう行きすぎようとしていた。
 梅雨に入る前のひと時、薄く白く霞んでいた空が青く澄み渡って、気温が急に上がる。
 一足早い束の間の夏の気配は、毎年私を無闇に動揺させる。

 夏は好き。一年中でたぶん一番夏が好き。
 ただその理由が分かりやすいほどありふれていて、馬鹿馬鹿しくて悲しくなる。
 鮮やか過ぎる印象はひどく限定されていて、情けなくなる。
 グラウンドに響く掛け声と、歓声と、切り裂くように吸い込まれるように舞い上がったボールの面影は今も、薄れないままに沈んでいる。
 私の深いところに。私の、きっととても核心に近いところに。
 だから、何一つ、なかったことには出来ないだろう。
 どれほど哀しくても。どれほど切なくても。
 情けなくて女々しくてバカみたいに愚かだと分かってはいても。

 手放す事は出来ないのだ。その記憶も。
 事実も想いも後悔さえも。


 今でも、いつでも、目を閉じれば簡単に思い出せる。
 アングルはいつも遠景。
 視線が追う人は遠く、私は一人で立っている。
 私たちは確かに、同じ時間を過ごしていたけれど。

 目の前にあったフェンスは、掴むといつも冷たかった。まるで世界を分けるように。
 境界線に手をかけても、突き破ることは出来なくて、私はずっと、ただじっと、見開いた瞳で見つめていた。
 高いフェンスの向こう側。放課後の学校でも、公式戦の球場でも。
 あの人が一番魅力的に映る瞬間は、いつだってフェンスの向こう側で。
 私は冷たい針金に手をかける。無機質なひし形に遮られた景色。
 手は振れない。名前も呼べない。邪魔は出来ない。

 だって私は、外側にいるから。
 

 あの頃の夏を閉じ込めた古いボールも、草臥れたグローブも、擦り切れかけた練習着も背番号もユニフォームも。

 私には、何もない。
 あの頃も今も。いつだって。
 見つめること以外、共有する術は何もなかった。



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