side田島 (vol.8)



 そのとき確かに、とあるひとつの世界は終わった。
 穏やかで安らかで、平和な凪のような時間は終わってしまった。
 壊してしまった。もう戻せない。

 初めて正面から挑んだ相川の瞳は、今はただ混乱して揺れていた。
 その瞳に映る自分は、予想していたより冷静だった。
 例えばいま、引き寄せて抱きしめて。キスなんかしたらどうなるだろう?
 何か新しい世界が始まるだろうか?
 俺たちはもう、平和なだけの関係には戻れないけど。
 新しい世界には波も嵐も訪れるだろうけれど。

「すぐじゃなくていいんだ。別に今すぐじゃなくても」

 宥めるような、猶予を与えるような、そんな優しげな言葉をかけている自分は卑怯だなと思う。
 だって相川はふられたばかりで。
 そうやって気付かせないままで、じっくりと追い詰めている。
 ずっと一緒にいた。だから分かってる。
 相川は俺を嫌いにはなれない。だから簡単には突っぱねられない。
 そんなこと分かりきっていて、卑怯でもそれを利用するんだ。


 相川が瞬きを繰り返す。
 なんだか、今日はこんなシーンばかりだな。
 だけど今目の前にいるのは相川で、もう。
 諌めてくれる友達もいなくて。
 手を伸ばす。捕まえる。ほんの少し、引き寄せる。
 それは魅力的な想像の通りの動作だったというのに何故か。
 こころのどこかが微かに、引きつるように痛いのは何故だろう。

「田島……?」
 
 ごめん、相川。
 ずっと。ずっと近くで、ただ見守ってあげられなくて。
 ごめんな。
 相川の目が揺れている。不思議そうに、不安そうに。
 揺れている。

 ああ。新しい世界はどんなところだろう。
 幸せなだけではないとしても。
 もう。もしかしたら近くにいれないとしても。
 でも。

     泣くなよ…お願いだから。絶対泣くな。

 そう思いながら、俺は衝動に負けて強く手を引いた。
 ひどく簡単に引き寄せられる。
 ぶつかってくる、その衝撃は、目が回るほど甘くても。

     何でこんなに息苦しいんだろうな…

 相川の肩は、予想してたよりもずっと小さく、その背中は、びっくりするほど頼りなかった。力を込めたら簡単に潰してしまいそうで、強張ったままの腕を恐る恐る背中に回す。
 馬鹿みたいだけど、俺は。ずっと一緒に育ってきたから、自分とこんなに違うだなんて、思ってもいなかったんだ。
 うまく抱きしめる事も出来なくて戸惑うまま囲った両腕の間から、相川があっけに取られたような顔で見上げていた。

 たった今自分で壊してしまった安らかな日々を。
 懐かしむように目を閉じた。
 もう、戻れない。もう、二度と、戻れない事に。
 少なからず打ちのめされて、俺は。

「好きだったんだ。ずっと」

 腕の中で、相川がいっそう小さく身を縮める。

「ごめんな」

 終わり行く夕焼けの中で。
 桜の葉が鳴り続けるその下で。
 吹きぬける風を背中に受けて。
 俺たちはずっと、動けずにいた。
 なんだか哀しくて、切なくて、幸せの予感というには程遠くても。

     あーあ…情けな……

 揺らがないはずの決意など、こんなに簡単に壊れてしまうなんて。
 目を閉じたまま薄暮の中で、俺は俺の不甲斐なさを知る。
 だけどもう。
 引き寄せてしまった存在は放せない。
 何があっても。
 もし、君が。そして俺が。
 この先手ひどく傷ついたとしても。

     ごめんな相川……


 身を切るような鮮やかな懐古を塗り替えるように沸きあがったのは、後悔と呼ぶには甘美な、罪悪感というには柔らかな。
 そんな、ぬるく渦巻く圧倒的な感情。
 その中に、奔流に飲み込まれるように身をゆだねながら。

 いま、初めて、共鳴した二人の鼓動が、やけに響くのを。
 慈しむようにそっと数えていた。



―side 田島― ≪END≫



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