side桜井 (vol.1)



「桜井?あけていい?」

 扉の向こうからそんな礼儀正しい声が届いて、それが狩野くんだとわかった。
 立ち上がって、扉を空ける。途端に狭い部室の中を風が舞って、慌てて手元を押さえた。

「まだ帰らないの?仕事?」
「ああうん。スコアとか部費とか、色々」
「わるいね、いつも。任せきりで」
「だって、マネージャーだしね」

 狩野君が、いつものように感じよく笑う。狩野君はいつも、はかったように同じだけ感じがいいのだ。

「でもさ、今日はもう上がったほうがいいよ」
「え?」
「あいつもさ、そろそろ引き揚げてくるから」
 そう言って、コートの方を指す。そこには一つだけ、小さく人影が見えた。

 何してんだろ。そう思ったけど、考えるのはやめた。
 どうせ、私とは関係ない理由で、留まってるに違いないから。



 田島君が好きだ、と気付いたと同時に、彼が誰を好きかも気付いてしまった。
 それは私ではなくて、足が早くてすらりと綺麗で、しかも、田島君のことを好きではなかった。
 そのときからずっと、ずっとこんな風な煮え切らない気持ちが続いている。


「偽善者って、言ったんだって?」

 後ろの方で帰り支度をしていた狩野君が、振り向きもせずに唐突に言った。あいかわらず穏やかな気配のままで。 こういうとき、この人は油断ならない、と思う。

 なんだか切り込んでくるようだ。こんなに静かなのに。

 それにしても、なんでも言ってしまうんだなぁ…しかもこんなすぐに。遠くの人影を見ながら、溜息をつきたくなる。

「その通りだと思うよ。あいつもちったぁ、気付いたほうがいいんだ」
 ね?と、にこやかに覗き込んできた狩野君はもうすっかり着替えて荷物も持っていた。
「だからもう帰ろう」
「え、でも、鍵」
 部室の鍵は、マネージャーがかけて返すことになっている。
「いいよ、ほら、あいつももう戻ってくるし」
 外を見ると、確かに田島君はこっちにむかって歩き出したところだった。
「でも…」
「いいってたまには。田島にやらせようぜ。さっき桜井をいじめた罰」

 そう言うと狩野君は、いつもの爽やかさを一瞬ひっこめてにやっとすると、いつのまに取り出したのかひらりと一枚のルーズリーフに『戸締りヨロシク』と殴り書いた。
 重しのように真ん中に鍵をのせて、机の目立つ位置に置いた。

「行こう桜井」
 狩野君に強引に促されて部室を出る。意図的なのか何なのか、田島君から逃げるように部室の塔の裏を回る。

「桜井はチャリ?」
「うん」
「じゃあさ、なんか食ってかない?俺、腹減っちゃってさぁ」
「いいよ」

 狩野君の軽々とした言葉を聞いているうちに、あっさりと駐輪場に到着する。朝には通路にはみ出してまでぎっしり埋まる駐輪場も、この時間になるとだいぶまばらに空いている。
 狩野君がふと足を止め、私もつられて立ち止まると、狩野君はくるりとこちらを振り向いた。見慣れた感じよい優しい表情だった。

「お好み焼きとラーメンどっちがいい?」
「え?どっちでも」
「じゃあ俺はー…」

 狩野君の言葉が終わらないうちに、隅の方でがしゃんと音がした。ふりむくと、そこには足の早いすらりと綺麗な人がいた。

 狩野君が、小さく舌打ちをした、気がした。





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