教室



 かたり、と音がしたので右隣を見やると、彼女はもう机にうつ伏していた。机の真ん中に積み重ねた辞書と教科書を囲うように腕を組んで、その上に顔を伏せて。
 左の横顔が、半分ぐらい見える。
 癖なのだろう。彼女はいつも、少しこっちを向いて眠る。

 彼女は何故だか本当によく眠る人で、クラスでも有名だった。かといっていわゆる不真面目な生徒ではなくて、成績は優秀な方で、部活は陸上。
 夏場は日に焼けているけど、元々はとても色白なのだろう。今、垣間見えている横顔と首筋が不思議なほど白い。
 そして、頬だけが透ける様に赤かった。

 僕はいつも起こさない。
 起こしてしまったら、こんな風には見ていられない。

 僕と彼女の関係はひどく薄くて、しかもとても儚かった。登校してきた彼女が「おはよう」と言って、僕も「おはよう」と返す。それ以上も以下もない関係。
 そのうち、席替えなんて、誰かの気まぐれで唐突に実行されるのだ。
 そうしたら僕は彼女の横顔をもう見られないし、「おはよう」さえめったに言えなくなるのかもしれない。
 彼女は次に隣に座る奴に声をかけて、そいつはやっぱり僕と同じように、彼女の横顔を見つめるかもしれない。

 僕は、きっと、遠く離れてしまう。きっとずっと離れてしまうのだ。今よりも、ずっと。

 彼女は相変わらず、すやすやと眠るだけだろうけど。



 実のところ彼女には彼氏がいて、それはもう学年公認な程の事実で、だから僕は、鈍感なふりをして彼女に近づくことも出来なくて。
 同じクラスで。隣の席で。
 仲良くなることなんて、簡単な事なのにな。

 本当は分かっていた。
 僕は。
 友達になりたいわけじゃない。
 僕はそんな、安全な立場を望んではいない。
 そんなその他大勢の一員じゃなくて。
 もっと、もっと特別な……

 なんてな。
 いい訳だな。ただの。
 なけなしのプライドが無駄に主張してるだけ。
 他愛無い話で時間つぶしたり、ばかな事やって笑ったり、したくない訳ないじゃないか。
 朝の小さなひとことだって。それだけで。
 眠くてだるい日々に、そっと灯りが燈るのに。

 諦められたら楽だろうになぁ…

 下らない話をして笑ったりして、いつも寝ている彼女にノート貸したりなんかして、でも何故か僕よりも成績のいい彼女に教えてもらったりして。
 きっと、楽しい。きっと、とても、楽しいだろう。
 僕は時々考える。
 簡単な事なんだ。彼女を遠ざけているのは僕の方なのだろう。彼女は気さくなタイプでクラスの男子とだって仲良いし、僕だって別に女子が苦手なわけでもない。普通に仲良い女子だってそれなりにいる。

 僕はただ、彼女にだけ戸惑っている。
 そう、彼女だけが特別。
 限りなくゼロに近い可能性がゼロではないせいで、僕は上手く振舞えない。
 
 今この瞬間だけでもいい。
 特別な自分になりたかった。
 君に対して唯一の。
 ずっと君を見てきたんだ。
 君の瞳が、僕を映さないと分かっていても。

 ありえない、と否定しながら、僕は確かに探していた。
 そうして見つけた君の横顔。
 今、眠っている君を見つめているのは、きっと、世界で、僕一人。



 誰かの名前が呼ばれた。
 彼女の3つ前の席の奴が、教科書を読み始める。この先生は単純に順番通りに当てるから、もうすぐ、彼女の番が来る。
 今まで、彼女を起こした事はないけれど。今日だって起こしたくなんかないけれど。

 このまま寝てるとさすがにやばいだろうなぁ…

 頭はいいんだから、今からでも起こせば何か答えるだろう。
 本当は、このままずっと見ていたいけど。
 僕は先生の挙動を予測しながら、隣に手を伸ばすタイミングを計る。肘のあたりを軽く叩こうとして、僕は、彼女に触れたことなど一度もないことに唐突に気付いてしまう。当然ながら手を繋いだこともなければ、すれ違い様軽くぶつかった事さえ。

 急に大それたことをしようとしてる気がして動けなくなった。
 まったく、高2にもなって、中学生のガキでもあるまいし…とさすがに自分に呆れる。けれど、動けないものは動けない。
 何となく、上を見上げた。薄汚れて低い天井。見回せば、一様に眠たそうなクラスメイト。グラウンドに面した窓は開いていて、カーテンが揺れている。

 これが今の僕の日常。

 諦めがついて、彼女のいい友達になれたら。こんな事で動揺したりもしないよな。
 僕は彼女をあっさりと叩き起こして、きっとそんな毎日は明るく楽しくて、退屈な繰り返しのようでいてとめどない高校生活。そんな、軽々とした日々の中で。

 僕は、もう二度と、特別な自分は探せない。唯一の自分を願えない。
 それは、明るくて、楽しくて、でもきっと、もう幸せは見つからないな。

 今、君を起こしたら、君は驚いてこっちを見るだろうか。
 もうすぐ君の番だよと教えたら、照れたように笑うだろうか。
 君は、僕を、真っ直ぐに見返してくれるだろうか…?

 誰にも気付かれないように、そっと大きく呼吸した。
 もう一度、ゆっくりと手を伸ばす。
 限りなくゼロに近い可能性。
 そうだ、今、この瞬間だけでも構わない。
 僕は、ただ。しっかりと。
 君の瞳に映りたい。


 手を伸ばす。ゆっくりと。
 今。
 僕は確かに幸福だった。
 君が振り向く一瞬前。



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