偶然



 好きだと思った、その気持ちを。決して忘れたわけではなかったけれど。
 遠い遠い、ずっと彼方に、置き去りにしてきたと思っていた。
 ひどく暑い夏の真ん中で、陽炎のような君を見つけるまでは。

    ☆

 3回戦敗退。今年も、母校の野球部の夏は、切なくなるほど短かった。弟の最後の試合を、俺は一人さり気なく見に行った。
 いまだ梅雨の名残を引きずったままのグラウンドは、妙に湿っぽくてやる瀬無かった。

 野球部を引退した弟は、俺の時と同じようにしばらく呆けているかと思ったら、いそいそと図書館なんかに通っていた。やけに通いつめてるなと思っていたら、どうやら片思いなんかしてるらしい。
 受験生のくせに、と思わなくもないが、往々にしてそういうものだろう。

 追い詰められたこころのどこかが、ふいに見つけてしまうのだ。
 普段なら気にもしなかったはずの瞬間を、妙に克明に捉えてしまう。
 きっとそんなもんなのだろう。まぁいいじゃないか、高校時代なんて限られているのだから。
 そんなことを思って、俺はさして気にも留めていなかった。

 弟の恋路なんてに興味はない。弟が誰を好きになって誰にフラれてこようとも、俺には別に関係ないし。
 本当に、日常に紛れてすぐに忘れてしまうような他愛無い事のはずだったのに。



 偶然立ち寄った図書館で、何気なく覗いた自習室の一番奥に、弟と、その向かいに座る片山を見たとき俺は、危うく声を上げるほど驚いた。

「…何やってんだあいつは…」

 そういえば、ちょっと前に指輪がどうとか言っていた。たぶん大学生とか何とかかんとか。
 あれは片山の事だったのか。

 随分しばらくぶりに見る彼女は、遠めだったけれどさして変っていないように見えた。

 ああ、でも。髪が違う。
 なんだって、あんな色にしてあんなふわふわにして…もったいない…

 高校時代、背中まで伸びた綺麗な髪の印象が、一気に蘇って俺は一人で気まずくなる。誰が見ているわけでもないのに、慌てて目をそらして、やっぱり血は争えないのか、と妙に馬鹿馬鹿しい事を考えたりする。


 それにしても、本当に、なに考えてんだあいつ…
 そう思って、そしてはたと気付く。

 ああ、そうか、あいつは知らないのか…


 当然のことに、ようやく思い当たる。
 弟は、俺や片山の高校時代を、本当に何も知らないのだ。

 知らないということは、こんなに無鉄砲になれるということなのか、と思って、俺は一瞬だけ弟に嫉妬した。


 あの頃を知っていたら、きっと。
 堂々と片山に片思いなんて出来ない。
 少なくとも、俺には出来なかった。



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