春休み (vol.4)



 ざっと見ても、片山さんの書き込みは見当たらなかった。
 僕はめげずに、アルバムを裏返して裏表紙をめくる。裏の見返しにも同じように所狭しと書き込みがされていて、兄貴は僕が思うよりもずっと、人望が厚かったのかもしれない。
 今度こそ捜索は難航したけれど、僕の予想通りに、片山さんの書き込みもちゃんと見つかった。

 たった3行ほどの、短いメッセージ。小さな文字は妙にたどたどしく、意外なほどに拙い。あの人がこんな字を書くのかな…訝しく思ったけれど、ああそうか、と、また忘れがちな事実を取り戻す。

 だって、これはもう、4年も前のアルバムなんだ…
 4年もあれば、人はどれだけ変わるのだろうか。もう一度ページを開きなおして、ポートレートを確認する。何度見たって見慣れない濃い黒褐色の長い髪と不安げに揺れた瞳は、僕の知らない彼女だった。

 片山さんは、もっと静かに綺麗だったな…

 僕の記憶の中の彼女は、どれも緩い風の中にいる。図書館の自習室の窓際の席で、乗せて走った自転車の後ろで。
 透けるように茶色いふわふわの髪を揺らして、笑うように小さく目を細めて。
 色とりどりの寄せ書きの片隅で、周辺に埋没するようでいてきっちりと輪郭を残した濃紺インクの綺麗な色だけが、今も僕の記憶に強く跡を残している片山さんに、不思議とリンクしていた。


 何でこれ、突然出しっ放しにしてあるんだろう。
 兄貴の部屋になんて用もなく無闇に入ったりしないけど、それでも今まで、目に付くところにはなかったはずだ。気付いてなかっただけだろうか。
 でも僕はずっと見たいと思っていたし、あの薄暗い資料室で見つけたくらいだ。目に入っていれば気付いただろう。

 兄貴は確か失くしたと言った。どうせ嘘だと思っていたけれどやっぱり嘘で、どこか目に付かない場所にしまってあっただけで、それをわざわざ、引っ張り出して。

 春休み。大きめな荷物。片付いた部屋。
 兄貴の卒業式はまだだけど、春になったら新社会人になって、そうしたら、つまり。

 長く長かった学生時代が終わる。

 また一段と遠ざかっていくんだ。このアルバムに、ほんの少しの面影だけを閉じ込めたまま。
 もう二度と、戻れない日々。
 きっと二度と、隣り合う事のないクラスメート。

 だから確かめにいったのか。
 何を?
 今更。
 最後だから?
 確かめてどうするんだろう。
 分からないけれど。きっと。

    会いに行ったんだな…
 

 静寂を破るようにどこかで携帯が鳴るのが聞こえた。僕はしばし考えて、自分の机の上に置きっ放しだったことを思い出す。慌てて隣の部屋に移動して、画面も見ずに通話ボタンを押した。

「もしもし?」
「あー。俺」
「なんだ。兄貴か」
「お前さー、今、どこ?」
 やたらのんきな声に呆れてしまった。それは絶対にこっちの台詞だ。
「はぁ?家だよ。自分の部屋」
「なんだそうかー。あのさ、お前、夏頃、俺の卒アル見たがってたじゃん?」
「うん」
「あれ、出しといてやったから、見ていいぞ」
「知ってる。もう見た」
「なんだ。やっぱな。お前も意外と手が早いのな。てか、人の部屋に勝手に入るなよ」

 言葉のわりに全然怒っていない声で、兄貴がからかうように文句を言った。どこかでにやにや笑ってる顔まで、ありありと見えるようだ。
 俺が部屋に入るのも、アルバムを開くのも、半ば仕組まれていたのが面白くない。タイミングをはかるようにかけてきた電話も。やはり多少向こうの方が上手らしいと認めざるをえない。年の功だろうか。
 ひとりふてくされてみたけれど、どうせ兄貴には見えないし、想像だってしてくれないだろう。兄にとっての弟なんて立場はそんなもんだ。

「でー?兄貴はどこにいるんだよ」
「今?駅だよ。乗り換え」
「特急?」
「だな。結構遠いからな」

 どこ行くの、とはうまく聞けなかった。
 聞いたってどうせ、旅費も足りない僕が、一緒に行けるわけもなく。

「で?用は?特にないなら切るよ」
「あ、なんか欲しいものあったら買ってきてやるよ。なんかある?」
「別に。いらねえ」
「なんだよ。可愛いげないなぁ」
「うるさいよ」
「なぁ」
「なに」
「ごめんな」
「…何が」
「別に」
「電車、乗り遅れるよ」
「ああ。じゃ、まぁそのうちすぐに帰るからさ」
「じゃーな」
「あ」
「今度はなんだよ」
「卒業おめでとう」
「は?」

 兄貴は短く笑って、そのまま通話は切れた。
 僕達を繋いでいた電波もぷちり。手の中の携帯が電子音を鳴らすまま、暫くそのままぼーっとしていた。





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